perfectly imperfect

新卒を捨てマルチに活躍するフリーランスになる話

フリーター・浪人時代〜大学3年春まで

[フリーター・浪人時代: 2013年3月〜]

 

f:id:Akane_Fumioka:20170923211511j:plain

 [Photo by Akane Fumioka]

 

高校卒業後、1年の4ヶ月をタリーズでフリーターとして働き

行きたい大学が決まったため4ヶ月浪人し

最後の4ヶ月は無印良品でフリーターとして働くという生活を経験します

 

 

バイト先を探していた時

はじめて学生ではなくなり

何者でもなくなったときの不安は

いまでも鮮明に覚えています

 

この一年での大きな変化は志望校をみつけ

目標を定められたこ

そしてそれに向かって努力し

結果を出せたことです

 

当時働いていたタリーズ

海外経験・留学経験がある人たちが多く

「英語が話せるようになりたい」「海外に行ってみたい」という

頭の片隅にあった夢を真剣に考えるようになりました

 

自宅から通えて、留学に行けるところ

高校時代の知り合いが外大に通っていて

タリーズでも卒業生の方が2人いたので

オープンキャンパスにも行って

実際に留学に向けて頑張っている先輩と話してみて

「この大学なら頑張れるかも」と思い受験を決意

 

受験日の一ヶ月前か忘れたけど

高校のオーケストラ部の木管の同期の子らが

キットカット持って、家まできてくれたんですよね

 

突然ラインで「ポスト見てみて」って

出てみたらそこの角に知ってる人影がおる!!!

みたいな

 

ドラマチックな演出してくれるよね〜

 

でもその当時バイトもしてなくて

受験勉強で引きこもりみたいになってたのもあって

人としての感情がうすれてたんですよね(仙人みたい)

 

めっちゃリアクション薄かったと思う(ごめんね)

高校時代にあんだけ迷惑かけた自分のことを

大学生になってまで気にかけてくれてただなんて

今思うと泣ける(やっと人間らしくなった)

 

8月から10月の受験日まで

ビデオ授業ですが、ちょっとの間予備校にも通って

その時期は過去問を解いて、シス単で英単語覚えて

努力が実り、無事合格

 

1日10時間以上勉強しないと合格できないみたいな

高いレベルの教養を要するテストではなかったので(マーク式です)

そこまで苦労はしてないと思ってたんですが

格通知を受け取ると、全身から疲れが流れ出てきて

安堵感から涙したのを覚えています

 

お母さんも泣きながら喜んでくれてたなー。

不登校の時に一番しんどい思いをしてくれていたので

喜ばせることができてちょっとだけ嬉しかったです。

 

[大学時代: 2014年4月〜]

 

f:id:Akane_Fumioka:20170923213359j:plain

  [Photo by Akane Fumioka]

 

英語全然できないことに気がつかされます

6クラス中あるうちの4番目のクラスに入りました

当時「あれ、これ間違いちゃうん?」と思い

教務部に聞きに行ったくらい

 

まだこの時点でも「数値」「順位」などの外的要因から

自分自身の価値を判断していたことがわかります

 

あの頃の自分は、とんがってたなあ

自意識過剰やったし

 

でも鋭いんじゃなくて、誰かになんかされたら

すぐポキって折れてしまうような脆さ

 

というのも

なかなか気の合う人に会えなかったんですよね

大学に対する思いが全く違う気がして

 

高校卒業してはい、自動的に大学行こうー

ってここに来たように見えてしまった

 

まあ、自分の苦労は自分が一番わかってるけど

他人の苦労って見えにくいからなあ

 

「なんか居心地悪いなあー」「教室入るんいややあーお腹痛いー」

と、小心者の自分はプルプルしつつも

「社会科学の授業は楽しいから頑張りたい」と思っていたので

一番前の席を陣取ってました

 

友達がいないということがきっかけに

学外の活動に興味を持ち始めます

 

いろんなことに首突っ込んだ気がする

一番おっきいのはTEDxKobe

 

f:id:Akane_Fumioka:20170923214200p:plain

 

 

TED talkの存在は高校卒業したくらいから

テレビでみてて知ってたけど

TEDxイベントのことは知らなかったんです

 

たまたまFacebookTEDxKyoto

開催されることを知って

一年生の秋に一人で行ってみました

 

当時外大の教授をしていた

Garr Reynolds (@presentationzen) 先生が

プレゼンしてるのをみて

こんなすごい人が外大で教えてんのか!!!

と衝撃を受けました

 

After partyの時にGarr先生と

スピーカーとして登壇されてた写真家の方に

話したことを覚えています

 

そして

「このコミュニティーに何か貢献したい」

と直感的に思いました

 

Kyotoの方は英語話せないとできないらしく

当時英語に対して苦手意識があったので

スタッフとしての応募を断念してしまいます

 

大阪にないのかなーと探していたところ

神戸にあるのを発見

 

初めてミーティングに行った時

めちゃくちゃアットホームな感じで

「うわあ、なんかいい!!!」って思って

Photographerとして入ったんですよね

 

去年のTEDxKobeでは

Kyotoからもメンバーとして手伝いに来てもらって

Photographer teamを結成させました

 

そのあとの画像処理一人じゃ全然できなくて

Creative teamに丸投げしてしまったんですよね…

(迷惑かけてすんませんでした)

 

自分の力量を超えて何かを成し遂げようとすると

自分がしんどくなるし

周りの人に迷惑をかける

ということを勉強しました

 

関西外大では出会えないような

面白い人たちに出会えてすごく嬉しかったし

自分の「居場所」ができたような気がしました

 

興味があればこちらもどうぞ

medium.com

 

[留学について]

 

f:id:Akane_Fumioka:20170923212901j:plain

  [Photo by Akane Fumioka]

 

外大に入った一番の目的「留学」

 

一年生の頃は

3年次の秋学期から

2年間提携先の大学で勉強して

外大の学位と提携先の学位を取れるという

学位留学を目指していました

 

親に希望を話したところ

「2年は経済的にムリ。一年で頑張って。」

と言われたので一年の学部留学を目指し始めます

 

留学と言われると「みんなアメリカに留学しに行ってる」

的なイメージがあって

 

「みんなと同じとこいくんなら意味なくね?」と

ひねくれていた自分はアジア圏で留学先候補を探し始めます

 

当時話題になっていた雨傘革命に興味を持ち始め

「香港」という世界に類を見ない異質な地区に引き込まれます

 

テレビで放映されたことを

そのまま信じる日本人がいるのに対し

検閲があることにより

中国や香港の人々は

政府・報道に関してより鋭い目を持っています

 

中国の一部でありながら

アジア市場の中心にある香港

中国の批判など左翼的発言を含んだ本を出版すると

知らない間に姿が消えており

実は中国政府から連れ去られていた

ということが日常茶飯事な「異質」な地区

 

東アジアにありながら

長くイギリスの影響下にあった香港の大学で

西洋と東洋の両方の視点に立った

ジャーナリズムを学びたい

 

その物事に対する姿勢や考え方を

現地で学び、感じ取り、自身の武器にしたい

 

東西の文化の交差点に位置し

ダイナミックでエネルギーに溢れた都市

香港に身を置き

何が起こっているのか肌で感じながら

他の国の大学では学べない

独自の国際的視点を持つジャーナリズムを学びたい

 

そう本気で思っていました

(今思うと野心に溢れてたなあ…)

 

香港に関する本を何冊も読んだし

広東語も勉強し始めようと思っていたし

希望先の大学まで足運びました

  

f:id:Akane_Fumioka:20170923212604j:plain

  [Photo by Akane Fumioka]

 

だがしかーし

 

フタを開けてみれば「アメリカ」への派遣

 

パンフレットには留学先が

選べるかのように書いているのに

実際、全く選べず

希望先の大学を聞き入れてもらうことも

できませんでした

 

国際交流部に聞きに行っても

「なぜ希望先大学・国・エリアに行けないのか」

「なぜ一学期早く行った学生たちは希望が出せていて

この学期から希望が出せないのか」に対する

明確で納得できる理由を提示されないままでした

 

辞退することも考えました

 

「まあ、これなんかのチャンスなんじゃない?」

「アメリカといっても学べることはあるはず」

周りの励ましもあって

渡米することを決心しました

 

次回は[ふみおかあかねのこれまでの人生]

留学〜現在までです!お楽しみに〜